2017年1月4日水曜日

生存者バイアス

社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる。

ふとFacebookをぱらぱらみていたらこんな記事と出会ったのでした。
内容としては生存者バイアスの話しのようで

>「生存者バイアス」という言葉がある。
苦労して立身出世した人が、自分の目線だけで成功体験を語ることだ。

という冒頭からはじまり、第4回層のフリーターたちとかとは口を聞いてはいけないと主張する引用元の方とこのトイアンナさんの人生が書かれています。

>もしあなたが、自分の運命は努力で変えられると思うなら、その感覚は生存者バイアスの始まりである。自分の人生はある程度変えられる。けれど結果にはいつも、周囲の人や運が必要で、それを持っていない人もたくさんいるのだ。

という終わり方をしている文面です。なんというかわかる話しだなぁと。
よくいろんな出来事が起こる度に思うんですよね、自分って周りの人に恵まれてるなぁとか、運の引きもいいほうなんだなぁって。
たまにありますよ。自分の運にのっかってきていいところだけ盗んで行く人も。本当に哀れだなぁと思いながらいつもみていたりもします。

人に恵まれてると思うのは特に自分に厳しくしてくれてる人と出会う時です。
おそらくは家族じゃないと注意できないようなことを先輩に行ってもらったり。
ありえなく難しい英語の問題をあててくださる先生がいたり。

なんどもこのブログでは書いていますが、これからは人口知能やロボットの発展で、どんどん人のやる仕事はなくなっていくと考えています。いままで以上に厳しい世の中になり、必要とされる仕事以外はなくなっていくとおもっています。

インターネットの発展で本当に世間の皆さんは(いいことも悪いことも)見ているなぁと感じています。
なにがいいたいかっていうと、諦めて欲しくないなってことなんですよね。ちょっと矛盾しているようですけれど。

確かに人生には運もありますが、それを生み出す方法もあると思います。そういう方法まで至らないのが運のない人生かもしれません。だけど、きっと社会のセーフティーネット的にはそういう人にも人生には一回くらいチャンスがあってもいいんじゃないかなーとおもっていたりするんです。

よくする話しですが、引かないクジにあたりもはずれもありません。まずは嫌でもクジを引いてみようよ、とおもったりしています。世の中の人って意外とクジ、引いてないんですよね。理由が面倒臭いとか、はずれを引きたくないから、という贅沢な理由だったりすることもよくあります。

世の中は弱肉強食ではなく、適者生存の時代です。ここは間違えてはいけないところで、どんなに強くて優秀であっても、適していなければ落ちこぼれていきます。それはちょうど私のように、ね。

逆に言えば、適合するべき能力を身につけさえすればなんとか暮らしてはいけるということ。そういう能力にも目を向けて欲しいなーっておもったりするのでした。

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