2016年11月22日火曜日

思春期のこと

CooRieの「ひらり涙」を聞きながら思春期のことを思い返しています。

中学生の頃は勉強もろくにせず、大してうまくない吹奏楽部で部活動をして、生徒会では校風委員長をやっていました。校風委員っていうのは世の風紀委員にあたります。
なんでも聞いたところによると生徒会長って話すだけなので楽らしいんですよね。私は忙しい委員会で勉強する余裕などなく。
それとなく彼女なんかもいて最も多感な中学二年生の頃に恋愛とかもしていましたが、結構残念な感じで終わったのを覚えています。

最悪のケースとして高校受験に失敗し、「自分の持っているすべての人格が否定されたような感覚。」を味わいます。これは特有のものな気がしますね。
まぁ、勉強していなかったので当たり前といえばそうなんですが、高校にはその後、書類の二次選考が奇跡的に通って地区の二番目に頭の良い高校に現役で通うことになります。

高校生活は始まってから、猛勉強していました。
それに加え、今度は全国を経験してきた先輩と吹奏楽部、応援団などいくつもハードルの高いことを同時にこなしていました。
部活も勉強も頑張ったおかげか…どちらも成果がでて大学もいいところにいけました。

学生の本分は勉強とは言いますが、中学生の時勉強してなかった反動は大きく、高校の時は毎日三時間がずっと続いていたように思います。大学受験は浪人する気合いで横に受けました。結果が一発で出てほっとしました。

家庭のほうでも多感な時期にはいろいろとありました。

自分が中学生の頃に兄が高校を中退してひきこもりがはじまりました。みているだけでつらそうだったのを良く覚えています。
中学校、高校と夕飯の席は父親がアルコールを取りながら「お前はあの時はああダメだった、そしてこの時はこうダメだった。」と毎日お説教される日々が続いていました。

そんなこともあって、私の実家を出る意思は強かったのを覚えています。
東京の大学に進学が決まった時は「やっと解放されるんだ。」と思ったのを覚えています。
我慢の限界点は病気の陽性症状として表れ、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになります。
手間のかからない「良い子」として育った私のお金の使い方は非常に荒く、親に何度も怒られても無茶な使い方はついぞ直りませんでした。

そうそう、やっぱり我慢の限界だったのですよね、病気の発動って。
私の病気の原因はいろいろとあるそうなんですがあげられるのが「家庭の持続的なストレス」ということ。
思春期にストレスだらけの家庭で育ち、親が話しも聞いてくれなかった家庭だったので苦労しています。

今も体調は良くないのですが親が理解してくれていないのか働くことにプレッシャーをかけてきたり、農家を手伝えといってきたり。特に父親がわかっていないようです。

しばらくはゆっくりするのがよさそうです。

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