2016年4月12日火曜日

芸術としてのゲーム音楽に求められること

先日題名のない音楽会をみて思ったこと。

以前から植松伸夫さん(代表作はファイナル・ファンタジー)が「みんなで演奏できる音楽」としてゲーム音楽をご紹介なさっていますよね。先日のシエナ・ウインド・オーケストラの演奏でもティンパニー奏者の荻原(はぎわらではないです。)さんがモーグルにふんしてボディーパーカッションを披露なさっていて、どこか学生時代を思い出す光景でした。

私が高校三年生の時のゲストがティンパニー奏者の荻原さんでした。(先生っていうのはやめてくださいね。っていわれちゃうのでさん付けで)その時もボディーパーカッションをやりましたね。あれ、地味に内出血して練習があまりできないっていう問題点もあります。女性だと特に大変ですね。

ゲーム音楽が一部の内向的で社会性のない人たちの音楽だと思われないためのプロモーションだと思いました。「音楽ってみんなでやるものでしょ?」っていうのが植松さんの主張だと感じています。

私のオリジナル楽曲はよく初心者の曲と間違われることが多いのですが、意識してやってます。「誰にもかけない名曲」ですげー!って言われるのではなく、誰もが作れるメロディーでみんなで楽しめる音楽。それが私の作曲のモットーです。だからコード進行も変な転調はあまりしないのです。

わかりにくいことをわざわざわかりにくく伝える必要はないと感じています。大事なのはわかりにくいこと、伝わりにくいことをわかりやすく知ってもらうこと。これにつきるのではないでしょうか。

周りが意味不明に難しくしたり、早引きに傾倒していく中で私が貫いているのがそういったメロディーだったりします。



やっぱりメロディーにはこだわりたいなぁって松前真奈美さんのMighty No.9のテーマを公式サイトで聞いて思うのでした。

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